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大峯山陀羅尼助丸の特徴
修験道の開祖である役(えん)の行者尊が葛城山で修行して吉野に入り大峰山を開山した白鳳年間にオウバク(黄柏)のエキスを、陀羅尼経(だらにきょう)を唱えながら煮詰め、これを「陀羅尼助(だらにすけ)」と名づけて施薬を行ったのが奈良の薬の始まりとされています。
陀羅尼助丸は大和国大峰山(1720m)の麓、洞川(どろかわ)で製造されています。
主原料は、当地をはじめ本邦に産するオウバク(黄柏)と呼ばれるキハダの樹皮であり、これから大峰山の寒水を用いて抽出した水製エキスと、ゲンノショウコ、ガジュツなどの整腸薬、芳香性健胃薬を配し、現代人に適応した形に成丸、乾燥したものです。
オウバクは成分として、ベルベリンの他、少量のパルマチンなど数種のアルカロイドを含み、更に苦味質であるオバクノンや多量の粘液を含有しております。
本品の組成は生薬成分ばかりであり、服用に際しては「口ににがし」のたとえ通り、敢えてその苦味を被覆・矯味することなく、本来の姿を保っております。
陀羅尼助丸は胃の運動を促進し、唾液や胃液の分泌を亢進させる苦味健胃薬としての作用と整腸作用を合わせ持つ和漢胃腸薬です。
陀羅尼助丸の由来
今から千三百年ばかり前、大峯山中で修行をしていた役行者は、疫病が流行し、人々が困っているの助けるため、山中の黄柏の木の皮を剥いで煎じ、薬として人々に飲ませ、疫病から救いました。
これが陀羅尼助丸の起源です。
のちに役行者の従者「後鬼」の子孫の村、洞川「現在の奈良県吉野郡天川村洞川」で、村人が陀羅尼助丸の製法を役行者から伝授されたと伝えられている。
そして江戸時代に和漢胃腸薬として民衆の中に広まったとされ、現在も全国のみなさまにご愛用 いただいております。
文楽・落語の中の陀羅尼助丸
文楽人形浄瑠璃のうち評判が高い「義経千本桜」には、陀羅助という言葉が、また役行者大峯桜には、「陀羅助」という人形が、陀羅助売りの口上を言いながら登場しています。
浄瑠璃の中でも『義経千本桜』は、最も有名なもので、源義経が静御前をつれて吉野に逃げてき た悲しい物語です。
その中の挿話に、若君が腹痛を起こし、陀羅尼助丸を買いにゆく場面がありますが、これは、延享年間に既に陀羅尼助丸を売る商人がいた事実を証明しているものです。